元
動脈瘤性のくも膜下出血から1年後の患者の体験と回復への期待についてインタビューをおこなったそうな。
16人に面談して内容を分析した。
次のようになった。
いまだ元気がない日がある。頭痛がする。ふつうの頭痛ではない。それ以外は完全に回復したように感じます。でも頭痛が起こると、あのときを思い出すんです。(発症から525日後)
物事は自分次第と思います。人生とどう向き合うか。強い意志が必要です。ただ座って『無理だ』と言うのは簡単だと思います。(525日後)
24時間365日、起きている間は常に頭痛がする。疲れているときに頭痛がすると、バランスが悪くなり、つまずいたりします。(365日後)
疲れで半年は眠れます。立ったまま眠れるような感じです。家まで200メートルですが、歩いて帰れるか分かりません。泣きそうです。だってこんなに疲れるんだもの。(365日後)
私は以前と同じだと思います。しかしいまは多くのことを我慢しています。気持ちを維持するためにそうしなければなりません。一番大事なのは、元気でいることです。(379日後)
薬を忘れる、食事を作るのを忘れる、着替えを忘れる。冬なのに上着を忘れたり、気温が0度以下なのに靴下を履くのを忘れたり.。物をなくしたり、違う場所に物を置いたり、おかしなことばかりしています。(400日後)
私は、たくさんの人の姿や話し声、活動があると耐えられない。そして疲れてしまい、家に帰って眠りたくなってしまう。(506日後)
道路を渡ろうとすると頭が真っ白になることがある。車が来たらうごけないしどうしよう?だから外出を控えるようにしています。脳が完全に空っぽになって、自分がどこにいるのか、何をしようとしているのか、どこに向かっているのかがわからなくなることがあるから。(506日後)
内向的になって、鈍感になったのだと思います。だからそういう意味では落ち着いていて、興奮しなくなりました。(442日後)
一緒に楽しいことをすることや、セックスや親密な関係もなくなってしまった。今を生きる能力が低下しています。(371日後)
友達は私のことをどう扱えばいいのか分からなかったのでしょう。彼らの多くは去りました。しかし古くからの友人は戻ってきました。(442日後)
ドアを閉め、電話の電源を切り、繋がりを断つことで安心できます。(525日後)
発症から8ヵ月後、まず2時間の仕事から始めました。死ぬかと思いましたよ。最初は2時間だったのが、4時間、6時間、8時間と増えていきました。でも100%に戻すのは大変でした。(525日後)
運転免許を取りあげられたのでどこにも行けない。家は一番近い店や薬局から25キロほど離れている。だからかなりきつい。いつも助けてもらわなければない。(379日後)
私はてんかん発作を起こしたことがあるので車の運転ができない。プロのドライバーだったので今も病気療養中です。(418日後)
傷病手当金がかなり少なかったので、その影響を受けました。(370 日後)
明日死ぬかもしれないのだから、それはそれで仕方がない。だから今日を生きよう、それが今の私の考えです。長期的な計画はもうありません。(365日後)
死を目前にしたとき、現実や人生を別の角度から見る必要があるのだと思います。しかし意味を見出すのも、前に進むのも難しい。(442日後)
会話に問題はなかったし、麻痺も何もなかった。それほど心配もしていなかった。自分はかなり良い状態だと思い込んでいた。(377日後)
春に2ヶ月間リハビリに通ったとき、この精神的な疲労や集中力の問題は、誰もが持っているわけではないことに気づかされました。(371日後)
リハビリテーション病院にいたときは、『ここから退院したら、すぐに仕事を始めよう』と思っていました。(457日後)
全く期待していなかった。先のことを考える余裕はあまりなかったと思います。(381日後)
半身不随になったわけでも、言葉が不自由になったわけでもないので、他人には病気のことを気づかれないように隠しています。(377日後)
医師は私の外見だけを見ます。私の頭の中がどれだけ混乱しているかは見ていないのです。それに神経科医にさえ『あなたは元気そうですね』と言われると、いらいらするんです。(400日後)
他人は私に多くのことを期待します。目に見えるような障害があれば、もっと楽だったでしょう。私が今は休みたいと言うと『怠けているだけだ』とか言われるんです。(400日後)
近所の婦人が、毎日のように私を訪ねてきました。私が何かしているのを見ると「そんなことしちゃだめよ!」と叱られました。(379日後)
というおはなし。
感想:
共感できる内容がおおかったので関心をもった。